説教題「この方は本当に神の子であった」
聖書 マルコの福音書15章33~39節
この世ではだれしも晴れがましいステージに立つことを望みます。音楽コンテストや競技の表彰式などだれしもそういうことを夢見るでしょう。またそのような場にふさわしい者となるために努力したりもします。
① 期待されるイエス様
その点、イエス様はどうだったかと言えば、イエス様はそのような場に立つことを期待されたお方でした。イエス様の公生涯は神の国の到来を告げることをもって始まりました。そして神の力を示すべく癒しや悪霊追放のわざをなし福音を伝えました。人々はそのイエス様にイスラエルの再興を期待してメシアとしての役割を求めました。そのような機運の中でついにイエス様はエルサレムに入場されました。
② エルサレムでの受難
そのエルサレムでもイエス様は宮清めや神殿崩壊の予告をされますが、イエス様の挑戦的しわざに業を煮やした為政者はついにイエス様を捕縛し処刑しようとします。この時イエス様はユダヤ人の王を偽った政治犯として殺されますけれども、まわりの人びとは、その中にはイエス様がメシアとして働くことを期待した人も含まれるでしょうが、ありったけの憎悪、嘲笑、罵声をイエス様に浴びせます。マルコによる福音書はそのことを繰り返し示します。
③ 百卒長の告白
しかしキリストの受難と死は無駄死にではありませんでした。キリストは十字架のみわざをもってこの世界の罪を処罰され、罪の支配からこの世界を解放してくださったのでした。周りの人々はそのことが分かりませんでしたが一人の男が本質を言い当てます。百卒長でした。彼は言いました。
「この方は本当に神の子であった」。
ローマ帝国に仕え、異邦人の身であった百卒長はキリストが神の子、救い主、王として十字架上で即位されたお姿を正確に言い表す者となったのです。そしてわたしたちはこの言葉を告白できる恵みに浴する者となったのです。ハレルヤ!