説教題「主の祈り③」
聖書 マタイの福音書6章9~15節
「私たちの負い目をお赦しください。私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦します」。
礼拝で唱えている主の祈りでは「我らに罪をおかす者を 我らがゆるすごとく我らの罪をもゆるしたまえ」となっていますが、上記からも分かるように聖書では罪は負い目、あるいは負債というように考えられます。ですからここでは神様に対して負っている負債を赦してください、勘弁してくださいといっているわけです。
① 負債(罪)のゆるしと神の国
当時のユダヤ人は負債(罪)を抱えたままで神の国に入る資格を得ることができない。そういう意識があったのです。その負債をお赦しください、赦していただいて神の国に入る者としてくださいと祈るようにとイエス様はおっしゃいました。これは負債を負わされている父なる神はその負債をゆるしてくださるお方であるということが前提としてあると言えます。イエス様が言われるのは「あなたの負債をゆるすから祈りなさい」ということです。イエス様はそのために来られたのです。
② わたしたちも赦します
「私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦します」。
この所でイエス様は人を赦すべきことをはっきりと明示しておられます。しかし赦しの言葉は人の口からは簡単には出ません。罪を赦すというのは簡単なことではないからです。
それに関連してマタイの福音書の18章を開くとイエス様のたとえ話が出てきます。途方もない負債を背負った主人が家人の負債をゆるさないがゆえに裁かれる話ですが、そのことを通してわたしたちは自分の罪を正しく受け止めるべきことを教えらえられます。そうすればその主人は寛大であり得ました。
即ち、わたしたちがキリストの十字架を仰ぐとき、わたしたち自身が他者の負債(罪)に対して何をすべきかを悟るのです。わたしたちもキリストに倣って少しでも赦す者となれたらと思うのです。