説教題「主の祈り」
聖書 マタイの福音書6章9~15節
わたしたちが礼拝等で唱える主の祈りから学びます。
① 天にいます私たちの父よ
祈りにおいて大切なことは誰に対して祈っているかということです。イエス様はそのお方が「天にいます私たちの父」であることを示されました。ここで天といいますのは、わたしたちが考えるようなこの世とあの世と言うような区分ではありません。父なるが座しておられる神の国という意味です。主の祈りはその神の国におられる主に向けての祈りなのです。
② 御名が聖なるものとされますように
「御名をあがめさせたまえ」ということは、神様の名が神のご性質通りになりますよういという意味です。そして神様の聖なるご性質というのはこの世のいかなるものよりも高い所に置かれるはずのものですから、そこから御名があがめられますようにということになります。
これが主の祈りの第一に順番として置かれていることは重要性です。わたしたちが祈るべき最優先は、神様が神様として崇敬を受けるということです。
③ 御国が来ますように
この祈りは神の国がこの世界に到来しますようにということに他なりません。それがまだ来ていないのです。ですから神の国の到来が急がれています。そこには切迫性があります。そういう差し迫った中で、イエス様は彼らが祈るべきことは「御国が来ますように」であると教えられご自身のみわざを始められました。
わたしたちはこの神の国の到来のために祈りますがそれはただ思念して期待するだけにとどまりません。御国が来ますようという祈りはそのための運動として伝道、宣教ということにだけでなく社会的な活動につながります。そしてそれらの力の根源は神の国への絶えざる希望なのです。