説教題「主に感謝することは、良いことです」
聖書 詩篇92
詩篇92篇は感謝の歌と類されるものですが、エルサレムの神殿で感謝の賛美を献げる際に歌われました。ところでこのエルサレムの神殿はいつの時期であったかということで諸説ありますが、捕囚後の第二神殿の時代であったというのが有力です。そうするとエルサレムの神殿を礼拝する人々はそのような捕囚の辛酸をなめた記憶を有しつつ礼拝を献げたことになりますが、どのような思いでそれをしたのでしょうか。
- 主に感謝
いずれにせよ彼らにとってはっきりしていることは「主に感謝することは、良いこと」でした。それはもちろんユダヤ人にとっては自明の理でした。イスラエルの人びとにとっての意識は自分が神を礼拝をする者として存在しているということでした。礼拝することが呼吸するようなものであったのです。
- 神の恵みと真実
その礼拝において礼拝者が心がけることが2節に記されています。それは神様の恵みと真実を告げることです。礼拝において神様がいかに恵み深いお方であるか、真実なお方であるかという思いを共有することが大切であるというのです。詩篇92篇はその神様の恵みと真実を綴ります。
主のなさったことは私を喜ばせ、主のみわざは大きく、主の思いは深く、悪い者、不法な者を滅ぼし、正しい者を大庭で花を咲かせるように栄えさせます。このように主なる神がいかにすばらしいことをしてくださるお方かを示していますが、その結論は15節の「主は正しい方、わが岩、主には偽りがありません」です。
- わたしたちも感謝
このように主の恵みを感謝する92篇ですが、わたしたちも主の前に感謝するものでありたいと思います。自分にとって神様がいかに真実であり恵み深いお方であったかを覚えつつ、礼拝において心から主を賛美させていただきたいと思うのです。