説教題「あなたがたが尋ね求めている主が」
聖書 マラキ3章1~5節
アドヴェントとは主の到来を意味しますが2千年前のイスラエルの人びともそうでした。彼らは預言者の預言を通してメシアを待望しました。その預言者の一人がマラキでした。
- メシアの待望と預言者
イエス様の時代はメシアが待望されていました。その背景として一つにバビロン捕囚があります。捕囚は終わり神殿は再建されたはずですが未だ人々は喪失感の中にありました。神がお戻りにならないという喪失感です。またもう一つのことはマカベア戦争です。一時でも英雄の活躍によって独立したイスラエルの国の栄光の時を忘れることはできませんでした。そういう中で預言書を手にした人々はメシアの到来を期待しました。
- マラキの預言
旧約聖書の中で最後に置かれている預言者マラキは、神殿再建後に活動しました。捕囚から解放されたにもかかわらずなお堕落するイスラエルに対してマラキは厳しく終わりの時の裁きを預言しました。それと同時に希望に満ちた預言も忘れませんでした。マラキ書3章冒頭には来るべき主の帰還が高らかに歌われています。
- わたしの使いを遣わす
マラキの預言の一つは終わりの時に主の使いが遣わされることです。それはバプテスマのヨハネです。ヨハネは人々にメシアがこの世に来る道備えのための悔い改めのバプテスマを授けました。
- 主が神殿に来る
そして何よりマラキはイスラエルが尋ね求める主が、突然、神殿に来ると預言します。それから後にイエス様がエルサレムの神殿に入場されました。イエス様はナザレで育ちました。ナザレはエルサレムから見れば辺境の地です。メシアがそこから出るとは考えられていませんでした。しかしガリラヤで活動されたイエス様は人々の評判を集め、当時の為政者たちが予期しない中で歓呼をもって聖なる都に迎え入れられたのでした。
- 契約の使者として
エルサレムに来られたイエス様がなされたことは、イスラエルとの新しい契約を立てるべく十字架の苦難を全うすることでした。それは真にイスラエルを贖い、この世界に神の国をもたらす神の恵みのみわざでした。キリストは預言のごとくにこの世界の闇を救いの光をもって照らしてくださいました。
わたしたちもこの主の到来を待ち望みたいと思うのです。