説教題「主の栄光が神殿から去る時」
聖書 エゼキエル書11章13~25節
神はこの世界をご自身の住まう神殿として創造されましたがアダムとエバの不従順によってそうはなりませんでした。罪と死がこの世界に入り込み暴虐が地に満ちました。しかし神はアブラハムを選び、そこから国民を起こし、ソロモン王の手によって作られた神殿にお住まいくださいました。イスラエルを通してこの世界を祝福する主のわざが開始されるはずでした。
- イスラエルの背神
しかしイスラエルは神の御心に反して偶像を崇拝し、貧富の差が拡大する中、貧しい者が虐げられるというようなことを繰り返します。真の神様を知り礼拝する祭司の国としてまわりの世界の光となる役目からそれてしまうのです。そのゆえにイスラエルは捕囚の憂き目にあうこととなりました。
- エゼキエルの見た幻―神が神殿を去る
預言者エゼキエルもバビロンにひかれていく一人でしたがそこで主の幻を見ます。それは神の栄光がエルサレムの都の中心から上っていく幻でした。それはすなわち神がエルサレムの神殿を去るということでした。神は捕囚の民と共にバビロンにとどまるとも記されています。
- イスラエルの民の嘆きと待望
以来、神殿に神は不在であることがイスラエルの人びとの嘆きでした。神殿は再建し、民は捕囚から帰還しました。しかし神はお戻りにならない。その意識がイスラエルにはありました。そしてそれはイエス様の時代に続いていました。イスラエルの民は神が神殿にお住まいくださることへの喪失感と期待の内にありました。
- キリストのみわざ
そのような中にキリストはこの世界に来られ、十字架と復活のみわざを全うされるのです。これによって神は神殿の主として帰還されます。神はわたしたちを神の宮としてお住まいくださり、この世界を神殿としてお住まいくださるのです。イスラエルの捕囚からの解放、神殿の回復はまことの救い主イエス・キリストによって実現されました。
今、わたしたちは神様を内にお迎えして生きる恵みの時代に生きています。約束の御国を待ち望む希望に生きています。そのことはひとえにキリストのみわざによることを感謝したいのです。