礼拝説教「力の限り主をほめたたえよ」2024年3月17日
詩篇150篇1~6節
(序)本日は、いよいよ32年間の神戸生田教会での牧師としての御用の最後に日となりました。本日は、「結びの賛美」としての詩篇150篇を見たいと思います。本篇もまた、はじめと終わりに、「ハレルヤ」があります。
本篇は、第五巻の結びの賛美であるとともに、詩篇全体の結びの賛美と言ってよいでしょう。ハレルヤの間に、「神をほめたたえよ」と10回も出てきます。
- 最高潮に達した主への賛美
1節は、賛美されるべき場所について歌っています。「神の聖所で」というのです。すなわち、神の教会における礼拝において、「神をほめたたえよ」というのです。また、地上の神殿のみではなく、「御力の大空で」主が御力をもって造られた天において「神を賛美するように」というのです。地においても、天においても、すべての所で、「神が賛美されるように」ということです。どこにおいても神を賛美しない所がないようにというのです。
2節、賛美のなされる理由が歌われています。「大能のみわざのゆえに」と言うのです。そこには、天地の創造の御業と救いの御業のゆえの賛美が勧められています。創造と救済の御業のゆえに、「神をほめたたえよ」というのです。創造と救済の御業のゆえに、私たちは、主を賛美するのです。また、「そのすぐれた偉大さのゆえに」と言うのです。神は神であられるゆえに、その御存在そのものが、すぐれて偉大なお方であるゆえに、「神をほめたたえよ」と言うのです。
3~5節には、賛美の手段が歌われています。どの様にして、主を賛美するのかということです。そこには、神を賛美するのに用いる様々な楽器が列挙されています。3節、「角笛を吹き鳴らして」雄羊の角で作られたラッパの一種です。「琴と竪琴」様々な種類、大きさの琴が用いられていたようです。4節、「タンバリンと踊りをもって」、5節、「音の高いシンバル、鳴り響くシンバル」とあります。まさに、賛美は最高潮に達します。そして、最後は、6節、賛美の担い手についての言葉です。すなわち、「息のあるものはみな、主をほめたたえよ。ハレルヤ」と言うのです。全人類、全ての生けるものに賛美をするようにとの呼びかけです。
- 十字架と復活を覚え、主を高らかに賛美する
来週に棕櫚の主日、そして受難週、イースターが控えていますので、最後に「十字架と復活を覚え、主を高らかに賛美する」ということについてお話しして終わりたいと思います。エペソ人への手紙1章5~14節をご覧ください。ここに6節、12節、14節の3回「ほめたたえられるためです」とあります。神の豊かな恵み、キリストの血による贖い、御国を受け継ぐことの保証として聖霊を頂いていることのゆえに「主なる神をほめたたえる」というのです。先週の祈祷会では、エペソ人への手紙の6章を学び、エペソ人への学びを終えました。振り返って、エペソ人への手紙には、「神の御業としての救いの全貌」が記されており、その救いの御業がいかにして、私たちに届くのか、すなわち、神の豊かな恵みから始まった救いの御業が、十字架で流して下さったキリストの血によつて私にまで届いた。その救いを感謝し信仰を持って受け取るだけで、その救いを私のものにすることおが出来るのです。そして信じた私たちのうちに聖霊が注がれて、感謝と賛美と愛に満ちた者と変えられて行くのです。そのような壮大な救いの御業の行ってくださった神様を心からほめたたえたいと思います。迎えます受難週、イースターにおいて、高らかに主を賛美しハレルヤと申し上げましょう。
詩篇150篇2節に、「大能のみわざのゆえに…その比類なき偉大さにふさわしく」とあるように、私たちが、主を賛美し、主をほめたたえ、ハレルヤと申し上げるのは、主が、十字架を通して、私たちに救いをもたらしてくださり、主イエスが三日目に眠っている者の初穂として甦り、主にある私たちをも甦らせてくださり、永遠のいのちを与えてくださる希望を与えられたゆえです。私たちは、大いなる喜びに輝いて、主をほめたたえ、ハレルヤと叫びましょう。
(結論)先週も149篇4節でお話ししましたように、「主はご自分の民を愛し、貧しい者たちを 救いをもって装われる」のです。救いをもって装い、信仰による救いと勝利を与えてくださる主の十字架と復活を覚え、主を高らかに賛美する者となりましょう。