礼拝説教 「神の御力の箱」 2023年9月10日
聖書 詩篇132篇1~18節
(序)この詩篇は、神の臨在の場所である神殿と神の契約の箱から注がれる祝福が歌われています。132篇は、「構造的に難解で複雑です」と言われています。この詩の展開と焦点は、神殿の建築から始まり、神の臨在の象徴である「契約の箱」の入堂、臨在の御前における礼拝と祝福と続き、救いと賛美と勝利と栄光に輝くメシアへと焦点が絞られています。
- 、ダビデの祈りと誓い(1~5節)
1節、「主よ。ダビデのために、彼のすべての苦しみを思い出してください。」詩人は、神殿を建てようとして、ダビデが労苦し、様々な準備をしたことを振り返って歌っています。この「苦しみ」と訳されたヘブル語のアナ―という言葉には、「へりくだる。かがむ。苦しむ」というような意味があります。
132篇2~5節には、神殿建築に対するダビデの願いと誓いが歌われています。ダビデは、神殿を建てることを許されませんでしたが、心を尽くして、金銀青銅、大量の石材杉材、神殿で用いる器、石工や細工人、さらには祭司制度などを計画し、準備し、組み分けています(歴代誌第Ⅰ22章~29章)。頭を使い、練りに練って準備したのです。また、6~9節には、「あなたの安息の場所にお入りください。あなたとあなたの御力の箱も」と契約の箱の入堂が歌われています。かつてダビデが、キルヤテ・エアリムから神の箱を荷車に乗せて運ぶ途中、神の箱に触れたウザが打たれた事件がありました。さらに、ダビデが民の人口を数えるという罪を犯したゆえに、疫病が広がりました。その時、ダビデは、エルサレムのモリヤの山、エブズ人オルナンの打ち場を買い取り、そこに祭壇を築いて神の赦しを願いました。そこにやがて神殿が建てられました。そのようなへりくだらされる「苦しみ」であったと思われます。歴代誌第Ⅱ 6章41~42節のソロモンによる神殿奉献の祈りの結びの言葉がこの詩篇132篇1節及び8~10節に繰り返されています。「彼のすべての苦しみ」を歴代誌では、「ダビデの誠実な行いの数々」と言っています。すなわち、ダビデが、それぞれの事柄に誠実に向き合い、熱心に祈り、知恵を絞りだして計画し、力を尽くして行動に移して神様に奉仕したことを言っているのです。「礼拝」を意味するヘブル語のアーバドは、「仕える」という意味も持っています。
「ダビデの誠実な行いの数々とすべての労苦」を主は覚え、シオンをご自分の御住まいとして選ばれたのです。そして、3~5節に、「ヤコブの力強い方」(2節)すなわち全能者なる神に、神殿を建てることを誓うダビデの熱心さが歌われています。
二、契約の箱の搬入と確かな永久の契約(6~9)
6節、「エフラテ(エフラタ)」は、ベツレヘムの別名であり、「ヤアル」とは、キルヤテ・エアリムの短縮形です。そこは、「契約の箱」が、20年間あった場所であり、アビナダブの家があった所です。
7節、契約の箱のある「主の住い」に行き、「主の足台のもとに」すなわち、主の臨在の前に平伏して礼拝をささげようというのです。
8~10節は、ソロモンが、神殿奉献の祈りの最後に用いていることばです(歴代誌第Ⅱ6章41~42節)。注目していただきたいのは、8節の「あなたの御力の箱」ということです。すなわち、神の臨在の象徴である「契約の箱」のことです。主なる神の臨在、「主そこにいます」ということが、礼拝の中心であり、そこから救いと祝福が注がれるのです。ですから、「あなたの御力の箱」と言っているのです。そして、祭司の身につけた亜麻布の着物は、「義」を象徴しています。恵と喜びに満ちた礼拝の様子が描かれています。
11~12節は、10節のダビデの王家が祝福されて、いつまでも続くようにとの祈りにたいする神の約束の言葉です。神は、ダビデに、「取り消すことのない真実」すなわち、「よろず備わって確かな永久の契約」をもってダビデ王家の祝福を約束しておられます。
三、祝福の約束とメシア預言(13~18節)
13~14節、主が、シオンを選び、それをご自身の住みかとされるということは、祝福の基であり、「これはとこしえに、わたしの安息の場所、ここにわたしは住む」(14節)とは、主の臨在される祝福の約束です。
15節では、「豊かにシオンの食物を祝福し、その貧しい者をパンで満たされる」と主の祝福の約束が歌われています。シオンへの祝福は、シオンのみに限定されるのではなく、民全体に及ぶものです。主は、「ご自分の御住まい」として選び、「安息の場所」として喜び、「わたしはここに住む」と主の臨在の場所から、主の祝福が、地域を越え、国を越え、時代を越えて注がれ、流れ広がって行っています。「主ここにいます」という主の臨在される教会から、そして、そこでささげられる礼拝から、主の祝福が空間と時を越えて広がり行くのです。
16節には、主の臨在の場所である聖所における礼拝とその祝福が約束され、描かれています。これは、9節の「あなたの祭司たちが義をまとい、あなたにある敬虔な者たちが喜び歌いますように」との祈りに対する応答としての神様からの祝福の約束です。「その祭司たちに救いをまとわせる。その敬虔な者たちは高らかに喜び歌う」と繰り広げられる礼拝のクライマックスが描かれています。
17節、「一つの角を生えさせ、…ともしびを整える」とは、やがてメシアが来られるメシア預言です。メシアは、王と祭司の職を兼ね備えていて、救いを成し遂げ、圧倒的な勝利を得られ、頭には王冠が光り輝くことが預言されているのです。
最後に、ローマ人への手紙3章25節をご覧ください。「血による宥めのささげ物」とあります。この所にヒラステリオンというギリシャ語が書かれています。これは、旧約聖書の「贖いの蓋」カッポレスの訳です。すなわち、神の「契約の箱」の蓋を示しています。そして、この「贖いの蓋」の上に血が注がれて、民の罪が赦されたとしたのです。それは、主イエス・キリストがメシアとして、十字架の上で流してくださる「血による宥めのささげ物」を示していたのです。
神の臨在の象徴である「契約の箱」の入堂、そして臨在の御前における礼拝とそこに注がれる祝福へと続き、突然に「契約の箱」と祭司であり王であるメシアが一つに重なって現われます。救いと賛美と勝利と栄光に輝くメシアへと焦点が絞られています。すなわち、メシアである主イエスによる救いと勝利と栄光に焦点が絞られ、賛美されているのです。
(結論)神の臨在の場所としての教会と礼拝が、いつも主の臨在を覚え、十字架による救いと恵みを証しできる時と場所として頂きましょう。さらに、王と祭司の職を兼ね備えておられるメシアである主イエスの十字架の血による贖いに焦点を定め、いつも主イエスの救いと恵みを証しする者となりましょう。