礼拝説教「受け継いだ信仰の遺産③―栄化の望みー」2023年9月3日
聖書 ローマ人への手紙8章18~30節
(序) 本日は、ローマ人への手紙8章より「栄化の望み」についてお話し致します。
一、栄化の望み
まずピリピ人への手紙3章20~21節をご覧ください。ここに「栄化」ということが明確に語られています。 20節は、しばしばクリスチャンの葬儀において語られるところですが、私たちは、現在この地上に生きる者ですが、帰るべきところがあります。すなわち、私たちの国籍は、天の御国だというのです。そして、そこから主イエス・キリストが、救い主としてお出でになるというのです。これは主イエスの再臨です。やがての時に 、再びお出でになるのです。そして主イエスは、万物を従わせ得る御力をもって、私たちの卑しいからだ、すなわち、痛みと弱さを抱え、朽ち行く肉体という卑しいこの私たちのからだを、あのイエス様の栄光に輝くからだに変えてくださるという約束です。これが「栄化」です。私たちクリスチャンは、この「栄化の望み」を与えられているのです。
二、栄化の時を待ち望むうめき
ローマ人への手紙8章18~27節をご覧ください。パウロは、「今の時の苦難は」と言い、現在における苦難を認めつつ、「やがて私たちに啓示される栄光に比べれば、取るに足らない」とやがての輝ける栄光を見つめています。22節、23節、26節に三回「うめく」という言葉があります。
第1は、19~22節における「被造物のうめき」です。人類の始祖アダムが罪を犯して以来、被造物も本来の目的を失い、虚無に服したのです。現在、原発の事故や様々な環境破壊によって被造物が苦しめられているのを私たちは見ています。キリスト者が栄化される時、全被造物もまた滅びから解放され、栄光の自由に入れられるというのです。ですから、被造物全体が今に至るまでともにうめき、ともに産みの苦しみをしているというのです。
第2に、23~25節の「クリスチャンのうめき」です。被造物がうめくだけでなく、クリスチャンもまた、子にしていただくこと、すなわち、からだが贖われることを待ち望んでうめいているのです。私たちは救われて、子とされましたが、なお地上の肉体にあって、弱さを持っています。痛みや苦しみを経験します。しかし、やがて栄光の姿に変えられる時が備えられているのです。私たちは、その日、その時を、待ち望んでうめいているのです。
第3に、26~27節の「御霊ご自身のうめき」です。そこには、御霊ご自身の言いようもない深いうめきがあります。御霊は、弱い私たちを助け、うめき、とりなしてくださるのです。26節に「助けてくださいます」と訳された言葉スン・アンティ・ランバネタイは、「共に」スンという言葉と、「代りに」アンティという言葉と、「取り上げる」ラムバノーという三つの言葉の合成語で出来ています。ルカ10章40節では、「手伝う」と訳されています。御霊ご自身が、弱い私たちと共に、私たちに代って、手助けしてくださるのです。
三、すべてを働かせて益としてくださる恩寵
ローマ人への手紙8章28節は、摂理の信仰を表すものとして、よく愛誦されている聖句です。確かに、神様は、すべてのことを働かせて益としてくださいます。しかし、その究極のゴールは、「御子のかたちと同じ姿に」ということです。
神様は、「あらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人たちをさらに義と認め、義と認めた人たちにはさらに栄光をお与えになりました」(30節)というのです。
さらに、31節、32節、33節、34節、35節と神様の守りと供給と義認の恵みと執り成しとキリストの愛を証しし、27節に至って「しかし、これらすべてにおいても、私たちを愛してくださった方によって、私たちは圧倒的な勝利者です」と勝利の凱歌をあげています。
竹田俊造先生は、『信仰の霊想』の中で、ローマ人への手紙8章28~39節に言及し、「あらかじめ知りたもう。あらかじめ定めたもう。ゆえに召し。義とし、栄を得させたもう。永遠のはじめから、永遠の終わりまで、神はみ旨のままに治めたもう。聖霊はこの栄化のみ旨を完成したもう霊である。聖霊はまた勝利の霊である。神のみ旨を抱いて我らの味方となり、我らのために御子の業をなしたもう。我らを満たしたもう。義とし執り成したもう。「ほふられるべき羊のごとく」、すべての苦難の中にあっても、神とキリストの愛の内に抱き包んで、勝利以上の勝利を得させたもう。我らは、この超越したこの栄光ある勝利を確信せざるを得ないのである」と記しておられます。
私たちもこの栄化の望みに生きる者となりたいと思います。
(結論)実に「栄化」は、私たちにとって究極のゴールであり、恵みの極致です。この超越したこの栄光ある勝利を確信し、栄化の望みをいよいよ強く抱き、信仰に励んでまいりましょう。