礼拝説教「苦しみ叫ぶ声を聞き給う神」2023年6月11日
聖書 詩篇120篇1~7節
(序)120篇から134篇の15の詩には、「都上りの歌」と表題が付けられています。礼拝をささげるために、神の都エルサレムへと上って行く巡礼の歌です。これらの歌を通して、礼拝をささげるために、私たちは、どのような準備、心構えをしているだろうかということを思わされます。
一、苦しみ叫ぶ声を聞き給う神 1節
詩人は、人々の偽りの唇や欺きの口などによって、傷つき、悩み苦しんでいます。そして、主に向かって助け出してくださるようにと叫び求めています。主は、苦しみ悩み助けを求める声を聞いて助けてくださる方です。この1節のみことばの「苦しみ叫ぶ声を聞き、答え給う神」ということは、この120篇の主題であるとともに、15の「都上りの歌」を貫く主題でもあります。
主なる神様は、私たちの祈り、うめき、叫びを聞いて、救いの御手を伸ばしてくださる方です。出エジプト記3章7節。主は、「苦しみを確かに見、…叫びを聞いた。…痛みを確かに知っている。…行け…遣わす…導き出せ」と言われます。
二、偽りの唇、欺きの舌 2~5節
詩人は、偽りの唇、欺きの舌に苦しめられています。詩人は、偽りの唇、欺きの舌あるいは、そのような者に寄り頼む者には、鋭い矢、真っ赤に燃えた炭火という痛い目に遭うのだと言うのです。ですから、5節では、「ああ、嘆かわしいこの身よ」と鼻から息する人間的なものに頼っている自らを嘆いているのです。メシェクもケダルもアラビヤに住む他民族です。詩人は彼らのところに身を寄せ、拠り頼んだことを恥じています。
「人間に頼るな。鼻で息する者に」イザヤ書2章22節
三、平和を求める者の族(やから)
世の中には、すぐに怒り、人と争う人がいます。トラブル・メーカーです。私たちは、ピース・メーカーとなりましょう。そのために、まず神との平和をいただきましょう。キリストは私たちのために十字架の上で贖いを成し遂げ、私たちに神との平和を与えてくださいました。そして、和解の福音を私たちにゆだねてくださいました。
しかし、しばしば私たちの平和を乱す者がいることも事実です。他の人のことでなく、自らのうちにそのような肉的平和を乱す者のあるのを見て、苦しむことがあります。ですから、詩人は、1節のごとく主に叫び、その救いを求めているのです。
ローマ人への手紙7章24節、8章2~4節をご覧ください。パウロは7章で、自らの内の肉の性質に悩んでいたことを告白し、その葛藤からの解放を内にいます御霊なる神様が、なし遂げて下さることを証ししています。キリストの十字架の贖いと聖霊なる神様の内住によって平和、シャロームが与えられることを述べているのです。
最後に詩篇46篇をご覧ください。46篇の詩人も、苦しみの中で、主の助けを待ち望み、主こそ私たちの避け所であり、助けであることを覚えています。主の血潮を避け所とし、静って待ち望み、主こそ一切のことを解決してくださる全能の神であることを信じるのです。
(結論)主こそ私たちの祈りと叫びを聞き、私たちの避け所であり、助けとなってくださることを覚え、いかなる時にも「静まって、わたしこそ神であることを知れ」と言われる主に近づき、礼拝する者となりましょう。