礼拝説教「みことばの戸が開くと」2023年5月21日
聖書 詩篇119篇121~144節
(序)本日は、詩篇119篇121~144節よりお話し致します。
一、幸いの保証人(121~128)
詩人は、「私をしいたげる者どもに私をゆだねないでください」121)と願い、主に「幸いの保証人」(122)となってくださいと祈っています。「幸いの保証人」とは、「不当な訴えに対して弁護してくれる者」あるいは「負債を代って返済してくれる者」のことです。
次の新約聖書をご覧ください。第Ⅰヨハネ2章1節。へブル9章15節、第Ⅰテモテ2章5~6節。主イエスは、私たちを御父に、執り成し、弁護してくださる、「弁護者」であり「仲保者」なるお方です。
123~124節、詩人は、「救いと義のことば」を絶え入るばかりに慕い、「恵みによって」取り扱ってくださるようにと願っています。
私たちは、主イエスの贖いにより、罪赦されて、義とされ、救いをいただいています。それは、恵みにより信仰によるのです。エペソ人への手紙2章8節。
二、みことばの戸が開くと(129~136)
129節をご覧ください。主のさとしは、奇しく、不思議です。主の御業とみことばは、私たちの理解を越えた奇しく、不思議なものです。理解することよりも、信じ、従うことが大切です。
130節に「みことばの戸が開くと、光が差し、浅はかな者に悟りを与えます」とあります。神様のみことばを、人間の理性で理解することはできません。ただ、ご聖霊が働いて下さって、私たちの心の目が開かれる時にはじめて、理解することが出来、信じ従うことが出来るのです。
エペソ人への手紙1章17~19節。
131節に「私は口を大きく開けて、あえぎます」とあります。
詩人は、口を大きく開け、みことばを待ち望んでいます。
ローマ人への手紙10章8~9節。
132節に「私に御顔を向け、あわれんでください」とあります。
主は、御名を愛する者に、御顔を向けて、あわれんで下さるのお方です。133節をご覧ください。私たちは、みことばによって守られ確かな歩みをすることが出来ます。
135節に、「御顔をあなたのしもべの上に照り輝かせ、あなたのおきてを教えてください」とあります。主が御顔を輝かせて下さる時に、私たちはみ言葉を理解することが出来るのです。
三、永遠の義(137~144)
137~138節、主のさばき、みことばは、正しく、真直ぐであり、真実です。そして、140節、主のことばは、炉でよく練られた純粋なことばです。ですから、「あなたの義のわざは、永遠の義、あなたのみおしえは、まことです。…あなたのさとしは、永遠に義です」(142~146)とあります。主の義は、永遠の義であり、そのみおしえは、まことだというのです。ここに私たちの信仰の土台があります。
(結論)私たちは、みことばの戸を開いて頂いて、みことばの真理を理解し、十字架の贖いの御業によって、罪を赦され、義とされた恵みを信じることができます。ですから、私たちは、心の戸を大きく開き、みことばを信仰をもって受け取りましょう。そこに、祝福と喜びがあります。