主の御顔と御力を求めて

礼拝説教「主の御顔と御力を求めて」2023年2月12日 2月教会総会

聖書 「主とその御力を尋ね求めよ。絶えず御顔を慕い求めよ。」

詩篇105篇4節 

(序)本日は、2月教会総会ですので、この年のために与えられている聖句より、再度お話するように導かれています。

一、主の摂理の御手

16~24節において、エジプトに奴隷として売られたヨセフがついには、エジプトの宰相として引き上げられ、イスラエルを飢饉から救う働きをするに至ったことについてお話し、主の摂理の御手が彼の上に働いていたことについて見ました。

19節に、「彼のことばがそのとおりになる時まで、主のことばは彼をためした」とあります。試練の時、ヨセフにとって与えられた約束とは逆の方向に進んでいるように思えた状況の中で、ヨセフは、主を信じ続けたことを見ました。創世記39章に何度も「主がヨセフと共におられたので」と繰り返されています。ヨセフは神の時が来るまで信じ続けたのです。そして、それこそが、「主とその御力を尋ね求める」ということであると申し上げました。

二、主の恵みの御手

 39~41節において、「出エジプト後の荒野の40年において、主が与えてくださった恵みの御手が歌われています」と申し上げました。

39節には、雲の柱、火の柱による導きが記されています。「主は、昼は、途上の彼らを導くために雲の柱の中に、また夜は、彼らを照らすため火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた。彼らが夜も昼も進んで行くためであった」(出エジプト記13章21節)とあることを見ました。「雲の柱、火の柱は、主の臨在を象徴しており、主は、つねに私たちと共にいて、私たちを守り導いてくださる」と申し上げました。さらに、「40節には、うずらの肉と天からのパンであるマナが与えられた恵みが歌われ、41節は、水のない荒野で、岩を裂いて水を湧き出させ、川となって流れさせられたことが歌われている」と申し上げました。

 私たちは、過去において阪神淡路大震災(28年)や新型コロナウイルスによる災いを経験して来ましたが、その中にあっても、主がともにいて、数々の恵みを経験させていただいたことを思い出し、これからも共にいて恵みの御手で導いてくださることを信じて参りたいと思います。

三、主の御顔と御力を求めて

ですから、私たちは、「主の御顔と御力を求めて」、この与えられた一年を、信仰をもって前進して行きたいと思います。

「主の御顔」とは、主の臨在です。竹田俊造先生は、『燃ゆる棘』の中で、「御顔の威光」と題するメッセージを語っておられ、①御顔の前には、満ち足りた喜びがある。②御顔は救いである。③御顔は聖別である。④御顔は安息である。⑤御顔は勝利である。⑥御顔は隠れ家である。と語り、最後に民数記6章26節のアロンの祝祷をしておられます。

すなわち、「願わくは、エホバその顔を上げて汝を顧み、汝に平安を賜え」と祈っておられます。

(結論)「主とその御力を求め、絶えず御顔を慕い求めて」信仰による前進をして参りましょう。「主があなたを祝福し、あなたを守られますように。主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。」(民数記6章24~26節)