礼拝説教「主に向かって叫ぶと」2023年1月22日
聖書 詩篇107篇1~22節
(序)本篇を大きく二つに分けてお話するように導かれています。
一、恵み深い主への感謝と賛美
まず詩人は、1~3節で主への感謝を歌っています。1節の「主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで」という賛美の言葉は、この107篇の主題であるとともに、この詩篇第五巻すなわち、107篇から150篇の主題でもあります。
特に1~3節では、主の贖いと一つに集めてくださる事が歌われています。イスラエル民族は、歴史的に北イスラエル王国と南ユダ王国に分かれて分断され、北イスラエル王国はアッシリヤによって滅ぼされ、南ユダ王国もバビロン捕囚となり、紀元70年以降は、1948年まで国土を失い世界に流浪していた民族でした。ですから、一つとなるということは、彼らにとって大きな望みでした。
エペソ人への手紙1章10節をご覧ください。「天にあるものも地にあるものも、一切のものが、キリストにあって、一つに集められることです」とあります。やがての時、すべのものが神のみ旨の中に一つとされるのです。
二、主に向かって叫ぶ時
4~18節に、イスラエルの民が様々な苦しみに遭遇した事が歌われています。「荒野や荒れ地をさまよい道に迷ったこと」(4節)、「飢えと渇きによってたましいが衰え果てたこと」(5節)、「闇と死の陰に座し、苦しみの鉄のかせに縛られたこと」(10節)、「背きと咎の罪のために苦しみを経験したこと」(17節)、「食べ物がのどを通らず、死の門にまで至ったこと」(18節)が記されています。イスラエルは、様々な苦しみ苦難に遭遇して来ました。その度に、彼らは主に向かって叫びました。そして、彼らが主に向かって叫ぶごとに、主は、彼らの叫びを聞き、彼らをその苦難から助け出されました。6節、13節、19節に「主に向かって叫ぶと」と3回出て来ます。
私たちも、これまでの人生で様々な苦しみを経験して来たと思います。また現在そのような経験の中にある方もおられるでしょう。その時、主に向かって叫びましょう。祈るというよりも、もう叫びとしての声しか出てこない。あるいは呻きしか出てこないというような時があります。それでもいかまいません。ただ主に向かって「主よ!」と叫ぶのです。主は、そのような叫びの声を、耳を傾けて聞いてくださいます。
三、私たちの叫びを聞いて、助け出してくださる神
6~9節、13~16節、19~20節に、神の民の叫びを聞いて、
彼らを助け出されたことが歌われています。
6節には「主に向かって叫ぶと…苦悩から救い出された」とあり、7節には、「まっすぐな道に導き、人の住む町に向かわせた」とあります。
すなわちそこには、主の確かな導きがそこにあります。
9節には、「主は、渇いたたましいを満ち足らせ、飢えたたましいを良いもので満たされた」とあります。「渇いたたましい」「飢えたたましい」とは、主とその御力を切に求め、絶えず御顔を慕い求めている者のことです。
ここには、主の恵みで、私たちの心を豊かに満ち満たしてくださる方であることが述べられています。
13節には、「この苦しみのときに、彼らが主に向かって叫ぶと、主は彼らを苦悩から救われた」とあります。誰の助けもなく孤立無援の時にも、主は、苦悩と闇と死の陰から導き出し、あらゆるかせを打ち砕き、「青銅の扉を打ち砕き、鉄のかんぬきをへし折り」、あらゆる束縛から解放してくださるのです(14節)。すなわち主は、私たちに全き勝利を与えてくださるのです。まさにローマ人への手紙8章37節にある「圧倒的勝利者」としてくださるのです。
20節には、「主はみことばを送って彼らを癒し、滅びの穴から彼らを助け出された」とあります。主は常にみことばを送って、私たちに全き癒しと救いを与えてくださるのです。
私たちは、どんな苦難に遭遇した時でも、堅く信仰に立って動かされることなく、主とそのみことばを待ち望みましょう。主は、全き救いと癒しと勝利を与えてくださいます。
(結論)最後に、8節、15節、21節に「主に感謝せよ。その恵みのゆえに。人の子らへの奇しいみわざゆえに」とあるように、主の恵みとその力ある御業を覚え、感謝のいけにえ、感謝の賛美を喜びと叫びをもってささげましょう。