礼拝説教「聖なる契約を覚えておられる真実な神」2023年1月15日
聖書 詩篇105篇24~45節
(序)先週に続き詩篇105篇よりお話し致します。先週も申し上げましたように、詩篇105篇は、歴史の中に働かれる主なる神に向って、感謝と喜びに溢れた賛美の歌です。
- 主なる神の力強い御手(24~38節)
24~38節には、エジプトの奴隷となっているイスラエルの民を、主なる神が、力強い大いなる御手をもって、救い出されたことが記されています。特に、27~36節には、十の災いをエジプトにもたらすという奇跡をもって、イスラエルの民をエジプトから解放するようにとエジプトの王パロに迫ったことが語られています。
出エジプト記7~12章には、①ナイル川の水が血に変わる災い、②蛙の災い、③ブヨの群れの災い、④アブの群れの災い、⑤重い疫病、⑥腫物、⑦雹の災い、⑧イナゴの災い、⑨暗闇に覆われる災い、⑩すべての生き物の長子が死ぬという災いが出て来ます。
これに対し、詩篇105篇27~36節には、①暗闇の災い(28節)、②水が血に変わる災い(29節)、③蛙の災い(30節)、④アブの群れの災い(31節)、⑤ブヨの群れの災い(31節)、⑥雹の災い(32~33節)、⑦イナゴの災い(34~35節)、⑧すべての生き物の長子が死ぬという災い(36節)について語られています。
37~38節、主は、数々のしるしをもって、エジプト人の内に恐れを与えられたので、エジプト人は、イスラエルが早く出て行ってくれることを願い、それを喜んだというのです。37節、主は、エジプト人が、イスラエルの求める金銀宝石を与えるようにされて導き出されました。
37節「よろける者は一人もいなかった」とあります。出エジプト記12章37節によると「壮年男子は約60万人であった」とありますが、子どもや女性、老人、異国人を含めると約200万人の民が、一人もよろけることなく堂々とエジプトを後にしたのです。
二、荒野における主の恵みの御手(39~41節)
39~41節には、出エジプト後の荒野における主の恵みについて歌っています。そこには、荒野の40年における呟きや放浪は記されていません。ただ荒野の40年において、主が与えてくださった恵みのみが記されています。39節には、雲の柱、火の柱による導きが記されています。出エジプト記13章21節には、「主は、昼は、途上の彼らを導くために雲の柱の中に、また夜は、彼らを照らすため火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた。彼らが夜も昼も進んで行くためであった」とあります。主は、御民を雲の柱、火の柱をもって導かれました。「昼はこの雲の柱が、夜はこの火の柱が、民の前から離れることはなかった」(22節)のです。
この雲の柱、火の柱は、主の臨在を象徴しています。主は、つねに私たちと共にいて、私たちを守り導いてくださるのです。
40節には、うずらの肉と天からのパンであるマナが与えられた恵みが歌われています。41節は、水のない荒野で、岩を裂いて水を湧き出させ、川となって流れさせられたことが歌われています。
私たちは、過去において阪神淡路大震災(28年)や新型コロナウイルスによる災いを経験して来ました。その中にあっても、主がともにいて、数々の恵みを経験させていただきました。
三、聖なる契約を覚えておられる真実な神
41節を見ると、「これらのことは、主がそのしもべアブラハムへの聖なることばを、覚えておられたからである」と恵みの数々が与えられた理由が述べられています。41節は、この詩篇105篇の中心的テーマである8~9節を呼び起こし、42節以下の結びの言葉へと向かっています。すなわち、ここには、詩篇105篇の中心的テーマである「聖なる契約を覚えておられる真実な神」が歌われているのです。
42~45節は、エジプトから、主が大いなる御腕をもって救い出された恵みの数々に対する、締めくくりとしての賛美が歌われています。43節には、「主は御民を喜びのうちに連れ出された。その選ばれた民を喜びの叫びのうちに」とあります。この43節を見る時、出エジプトに際して、如何にイスラエルの内に大きな喜びがあったかが想像されます。喜びと感謝に溢れ、高らかに賛美の声を上げつつ、堂々と道に進んだことが歌われているのです。
そして、それは、彼らが主のおきてを守り、そのみおしえをたもつために、主が、約束の地を与えられたことを告げ、最後に「ハレルヤ」と結んでいます。
(結論)私たちも、「聖なる契約を覚えておられる真実な神」を覚え、主が与えてくださった数々の恵みに感謝し、この新しい年を、信仰と賛美に溢れて進ませていただきましょう。