礼拝説教「神に仕える人々」2022年8月7日
聖書 コロサイ人への手紙4章7~18節
(序)本日の箇所は、この手紙に置ける最後の挨拶の部分です。ここに10人の人々の名があげられています。この中から、3人を選び、その人となりを通して、クリスチャンのあるべき姿を学びたいと思います。
一、忠実な愛する兄弟とされたオネシモ(9節)
9節をご覧ください。「オネシモ」という名があります。オネシモとは、「有益な者」という意味の名前です。彼は、かつて名前とは反対に、主人ピレモンの下から逃亡した奴隷であり、「無益な者」でした。おそらく主人ピレモンの金品を盗んで、逃亡したと考えられます。彼は、逃亡先のローマの獄中で、パウロと出会い、イエス・キリストを信じて、クリスチャンとなりました。今や、主人ピレモンの下に手紙を持って遣わされています。彼はかつて「無益な者」でしたが、今は「忠実な者」となっています。私たちもたとえ無益な者と思われるような者でも、イエス様は、私たちを新しい人、「有益な者」「忠実な者」と変えてくださるのです。コリント人への手紙第一1章28節をご覧ください。「有るものを無いものとするために、この世の取るに足りない者や見下されている者、すなわち無きに等しい者を神は選ばれたのです」とあります。私たちのために十字架にかかって下さった主イエス様は、私たちの心の空虚をご自身の愛で埋め、いかなる人生の荒波にも打ち勝つ信仰を与え、生ける望みに生かしてくださるのです。イエス様は、私たちを新しい人、「有益な者」「忠実な者」と変えてくださるのです。教会にとって必要なのは、いつもこの「忠実な奉仕者」と変えられた人々です。
二、神の国の同労者と変えられたマルコ(10~11)
10~11節には、「神の国の同労者」としてアリスタルコ、マルコ、ユストの三人の名があげられていますが、10節に記されているマルコを取り上げたいと思います。マルコのヘブル名は、ヨハネと言い、彼の母は「エルサレムのマリア」と呼ばれる人でした。エルサレムにある彼の家の二階座敷は、主イエスと弟子たちの集まる集会場所として用いられました。マルコは、バルナバの従兄弟で、第1回伝道旅行の際、バルナバとパウロの一行に同行しましたが途中で引き返してしまいました。第2回伝道旅行の際にバルナバはマルコを再び連れて行こうとしましたが、パウロは、反対し、バルナバとパウロが互いに別れる原因となった人物です。しかしながら、ここでは、彼は、再びパウロの信任を回復しています。テモテ第2の手紙4章11節で、パウロは、「マルコを伴って、一緒に来てください。彼は私の務めのために役に立つからです」とマルコがどんなに有能な人であるかを書き記しています。彼は、マルコによる福音書を書き、教会にとって実に大切な働きをしました。コロサイ人への手紙4章1節でパウロは、「神の国のために働く私の同労者です。彼らは私にとっての慰めとなりました」と言っています。彼もまた「無益な者」であったのに、「神の国の同労者」そしてパウロの「慰め」となるような人物へと変えられたのです。マルコの福音書4章26~29節、5章19節をご覧いただきたいと思います。ここにはマルコ独特の表現が現れています。
コリント人への手紙第二5章17節には、「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です」とあります。どんな人でも、キリストを信じるなら、新しい人、有益な人と造り変えられるのです。
三、熱心な祈りの人(12~13)
最後に、エパフラスを挙げて終わりたいと思います。エパフラスとは、「魅力ある者」という意味の名前です。彼は、愛の人であり、熱心な祈りの人でした。しかも、彼は、「あなたがたが神のみこころのすべてを確信し、成熟した者として堅く立つことができるように」と祈っていたというのです。彼は、愛の溢れた熱心な祈りの人でした。いつも愛をもって祈っている人のいるとき、教会は前進し、成長することができるのです。
(結論)私たちも、イエス様によって変えられ、忠実な奉仕者、神の国のために働く同労者、愛に満ちた熱心な祈りの人となりたいと思います。