礼拝説教「キリスト者の家庭」2022年7月17日
聖書 コロサイ人への手紙3章18~21節
(序)ここにクリスチャン家庭のあるべき姿が語られています。『バックストン著作集』第3巻に、「クリスチャン・ホーム」と題する短い説教が掲載されています。その中に、「罪は、アダム、エバをエデンから追放し、そのようにして全人類を追い出した。けれども、神様はその憐みによって、人にエデンにおける貴重な二つのものを保有することを許してくださった。それは安息日と家庭である」と記しておられます。
一、妻のあるべき姿
さて、18節に「妻たちよ。主にあるものにふさわしく、夫に従いなさい」とあります。エペソ人への手紙5章22節、24節には、「妻たちよ。主に従うように、自分の夫に従いなさい。…教会がキリストに従うように、妻もすべてにおいて夫に従いなさい」とあります。また第Ⅰペテロ3章1節には、「妻たちよ、自分の夫に従いなさい。たとえ、みことばに従わない夫であっても、妻の無言のふるまいによって神の者とされるためです」とあります。それは、第Ⅰコリント11章3節に「すべての男のかしらはキリストであり、女のかしらは男であり、キリストのかしらは神です」とあり、8~9節には、「…男が女から出たのではなく、女が男から出たからです。また、男が女のために造られたのではなく、女が男のために造られたからです」とあるごとくです。さらに、11~12節には、「とはいえ、主にあっては、女は男なしにあるものでなく、男も女なしにあるものではありません。女が男から出たのと同様に、男も女によって生まれるのだからです。しかし、すべては神から出ています」とあります。すなわち、神の御前に立つ一人の存在としての男と女があり、それは平等です。しかし、同時に女は男に従うという秩序があると聖書は告げています。これは、神が立てられた秩序であり、自然のあるべき法則です。「主にある者にふさわしい」在り方です。ですから、「妻たちよ。主にあるものにふさわしく、夫に従いなさい」と言っているのです。
二、夫のあるべき姿
次に夫については、19節「夫たちよ。妻を愛しなさい。妻に対して辛く当たってはいけません」と命じられています。「キリストが私たちを愛して下さったように愛しなさい」と言うのです。 エペソ人への手紙5章25節をご覧ください。ここには、「夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自分をささげられたように、あなたがたも妻を愛しなさい」とあります。いずれにせよ、夫に対する神のみこころは、「妻を愛しなさい。妻に対して辛く当たってはいけません」ということです。
三、子どもとしてのあるべき姿
再び、コロサイ人への手紙3章20節をご覧ください。20節に「子どもたちよ、すべてのことについて、両親に従いなさい。それは主に喜ばれることなのです」と勧められています。旧約聖書の十戒中第五戒、すなわち人間関係に関する戒めの最初のものとして、「父母を敬え」という戒めがあります。このことは実に、人間社会の基礎となる部分です。「父と母を敬う」ことにより、主が与えてくださる地に長く住むことが出来るのです。
箴言には、「父の教訓に聞き従え、母の教えを捨ててはならない」(箴言1章8節)とか、「父の命令を守れ、母の教えを捨ててはならない。それをいつも心に結び、首に結びつけよ。あなたが歩くときには、それがあなたを導き、寝ているときには、あなたを見守り、目覚めるときには、あなたに話しかける」(箴言6章20~22節)とあります。父母を敬い、父母を大切にすることは、キリスト者としてあるべき姿です。特に信仰のある両親の言葉は敬意をもって受け止めるべきです。そこに祝福があります。
四、親としてのあるべき姿
21節に、「父たちよ」とありますが、これは父のみを指しているのではなく、母も含んでの呼びかけです。「子どもたちを苛立たせてはいけません」というのです。エペソ人への手紙6章4節では、「自分の子どもたちを怒らせてはいけません」とあります。コロサイ人への手紙3章21節の「苛立たせる」とは、「刺激する」という意味のエレシゾーという言葉が使われています。すなわち、両親が子どもをしつける時に、頭ごなしに、子どもの心を過度に刺激することなく、つねに「意欲を失わせないように」教え導きなさいと言うのです。すなわち、子どもを育てるには、祈りつつ励まし、教え、訓戒し、導くことが必要なのです。
以上、妻、夫、両親、子どもそれぞれの立場とそのあるべき姿が教えられています。実にクリスチャン家庭のあるべき姿が、ここに描かれています。
(結論)まさに、主を私たちの家庭の主としてお迎えし、主にある、主に喜ばれる者、家庭として頂きましょう。