礼拝説教「キリストにある溢れる豊かさ」2022年6月19日
聖書 コロサイ人への手紙2章6~23節
(序)先週は、2章1~5節より「神の奥義としてのキリスト」を見ました。本日は、「キリストにある溢れる豊かさ」と題して三つのことを申し上げたいと思います。
一、一切の秘訣
コロサイ2章9~10節にあるように、キリストのうちには、神の満ち溢れる神性が形を取って宿っており、キリストに連なる者は、その豊かさをもって満たされているのです。例えば、一つの小さなコップがあります。渇いているときには、十分でないかも知れません。しかし、水道があれば、何時でも、そこに満す事が出来ます。その様に、キリストに連なるとき、私たちは、キリストの豊かさをもって満たされ、キリストは、私たちの一切の秘訣となってくださるのです。
ですから、パウロは、8~23節において、四つの間違った教えを列挙してこれを警戒しています。
- 空しいだましごとの哲学(8節)が警戒されています。…彼らに信仰を「奪われるな(スールアゴーゲオー)」と言うのです。彼らは「世の小学であり、言い伝えにすぎず、この世のもろもろの霊による幼稚な教えにすぎない」と言うのです。むしろ、私たちは「キリストにあって満たされており、全備している」と言うのです。10節をご覧ください、「あなたがたは、キリストにあって満たされているのです。キリストはすべての支配と権威のかしらです」(10)とあり、11~13節において、「私たちは、キリストとともに葬られ、キリストとともによみがえらされ、キリストとともに生かされているのだ」とあります。
- 律法主義(16~17節)が警戒されています。…「食べ物、飲み物、祭りや新月、安息日」とは、律法主義が主張し人々を批判するところのものです。「彼らに批判されるな。批評されるな(クリノー)」と言うのです。彼らは「影にしかすぎない。しかし、本体は、キリストにあります」と言うのです。
- 神秘主義(18~19節)が警戒されています。…「彼らに悪評されるな断罪されるな(カタブラビューオー)。不正な判定によって褒美を奪い取られるな」と言うのです。彼らはいたずらに誇るのみで、実際はキリストにしっかりと結びつくことをしていません。私たちは、からだ全体が節々と筋によって支えられ、つなぎ合わされ、神に育てられて 成長して行くのです(19節)。
- 禁欲主義(20~23節)が警戒されています。…「彼らの規定に縛られるな。彼らの行っている自己卑下や苦行は、知恵があるように見えるけれども何の価値もない。しかし、キリストにある者は、全備させられている」と言うのです。
これらの結論として、あるいは軸として、9~10節があります。すなわち、「キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。あなたがたは、キリストにあって満たされているのです。キリストはすべての支配と権威のかしらです」とあります。10節の「あなたがたは、キリストにあって満たされているのです」とあるところを、文語訳では、「汝ら彼にありて全備するを得るなり」とあり、英訳では、complete in him (A.V.)とあります。
キリストのうちには、すべての知恵と知識の宝が隠されており、私たちは、キリストにあって、全てにおいて満たされ、全き備えをして頂いているのです。
二、二重の癒し
トップレデイ作の讃美歌260 『千歳の岩よ』の1節に、ダブル・キュアー(二重の癒し)なる言葉が出てきます。「二重の癒し」というからには、病気が二重であるのです。つまり、人間の罪は二重であり、そこからの救いも二重だというのです。13節に「背きのうちにあり、また肉の割礼がなく、死んだ者であったあなたがたを」とあります。まさに、私たちの過去は、犯した個々の罪と、性質の罪である肉性の状態にあったというのです。その私たちを「キリストと共に生かし、…すべての背きを赦してくださった」のです。しかし、それで終りではありません。
11節に「キリストにあって、…人の手によらない割礼を受けました。…肉のからだを脱ぎ捨てて、キリストの割礼を受けたのです」とあります。これは、きよめの事を言っています。12節には、「ともに葬られ、…ともによみがえらされたのです」とあります。死んでいたのが、キリストによって生かされ、ともに葬られ、ともによみがえらされたのです。キリストの内に、罪のゆるしときよめの全き救いがあるのです。
三、全き救い、全き勝利
14~15 節に、全き救い、全き勝利である十字架があります。訴えかける証書を、その規定もろとも塗り消し、廃棄して、罪のゆるしときよめを実現して下さったのは、主イエスの十字架の御業です。私たちを責め立てるサタンの攻撃は、全く武装解除させられ、さらしものにされています。私たちは、この凱旋将軍であるキリストにあって、勝利の行進に加えられているのです。何たる栄光。何たる感謝でしょう。
ローマのコロセアムに、かつて多くのクリスチャンが、迫害にあって殉教した競技場の中、皇帝がかつて座っていた場所に一本の十字架が立ち、「全ての人の望みなる十字架に栄えあれ」と刻んであるそうです。実に、キリストにこそ、そして十字架にこそ、勝利の凱歌があるのです。
(結論)一切の備えをなし、全き救いと全き勝利を与えてくださるキリストに満ち満たしていただいていることを感謝し、信仰を堅く守る者となりましょう。