聖書 使徒の働き1章3~12節 2章1~4節 ペンテコステ
(序)本日は、ペンテコステ礼拝です。約束の御霊が注がれ、教会が誕生したことを記念する日です。そこで本日は、使徒の働き1章8節を中心に見たいと思います。
8節の冒頭「しかし」という接続詞が来て、6~7節の事柄から、8節の事柄へと弟子たちの思いを急旋回させています。「聖霊が臨むとき」どのような力をいただくのでしょうか。
一、証しする力
それは、キリストを証しする力です。どの様にキリストについての知識がありましても、キリストを証しする事は出来ません。聖霊の注ぎと満たしなくしては、わたしたちは無力です。
「力」とはギリシア語でデュナミスと言いますが、これは「強大な物凄い力、能力」を意味しています。それは、どんな時にも、大胆に証しするところの力です。
8節の「わたしの証人となります」とのキリストのことばについて、A・T・ロバートソンは「壮大で神聖なる確かな王としての勅令」Royal words of magnificent and Divine assurance.と言っています。
マタイの福音書28章18~20節をご覧ください。「わたしは天においても地においても、すべての権威が与えられています。ですから、あなたがたは出て行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい」とあります。復活の主は、王の王としての権威をもって、「大宣命令」といわれる命令を命じておられます。そのような王としての権威をもって、「わたしの証人となります」と語っておられるのです。
使徒の働き5章29節を見ると、主イエスの名によって語ることを禁じた大祭司たちに対し、ペテロは、「人間に従うよりは、神に従うべきである」(使徒の働き5:29)と大胆に語る力をいただいて主イエスを証ししています 。ステパノも、石を投げつけられて殉教して行く中で「ああ天が開けて、人の子が神の右に立っているのが見える」(使徒の働き7:56)と証ししています。
エペソ人への手紙6章10節をご覧ください。「主にあって、その大能の力によって強められなさい」とあります。私たちは、あらゆる悪魔の策略に勝利し、大胆に福音の奥義を証しするために、主によって強められる必要があるのです。続いて、エペソ人への手紙6章13節以降もご覧ください。「神のすべての武具を取りなさい」とあって、真理の帯、正義の胸当て、足には平和の福音の備え、信仰の盾、救いのかぶと、御霊の剣(神のことば)、御霊による祈りという「神の武具の七つ道具」が出て来ます。主は、私たちのために、これらの「七つ道具」を用意して下さっているのです。これらを身に着け、強められて「主の証人」となりたいと思います。
二、信仰に歩む力
第2に、「信仰によって歩む力」です。人々をして神の言葉に立たせ、歩ませる事の出来る力です。 バックストン先生によると、使徒行伝における三つの大切な事は、「聖霊と神の言葉と神の人」と言っておられます。
- 聖霊の注ぎと働きと導きがあります。使徒の働きの中に「聖霊」の注ぎと働きと導きについて40回も用いられています。
- みことばに励まされ、神の御業を通してみことばが広められたことが書かれています。「こうして、神のことばはますます広まっていき、エルサレムで弟子の数が非常に増えていった」とあります(使徒の働き6章7節)。
- 神の人の信仰と祈りと賛美があります。「真夜中ごろ、パウロとシラスは祈りつつ、神を賛美する歌を歌っていた。ほかの囚人たちはそれに聞き入っていた」(使徒の働き16章25節)とあります。信仰によるところの祈りと賛美があるところに、神様の大いなる御業がなされるのです。
三、一つにする力、愛の力
初代教会の人々は、心を一つにして、主を礼拝し、生活を共にしていました。使徒の働き2章41~47節を見ると、初代教会の人々が、心を一つにして、礼拝と賛美を行い、聖餐や愛餐を執り行い、教えを守り、交わり、所有物さえ分け合っていた様子が書かれています。しかも、時には、一致が壊れるのではないかと思われる時には、御霊の導きによって、一つとされています(使徒の働き6章1~7節)。まさに、初代教会においては、御霊によって、互いに一つとするところの愛の力が与えられていたのです。お互いが一つとなることによって、「主ここにいます」とこの世の人々に主を証しすることができるのです。
四、神の栄光を見る力
信仰と聖霊に満ちたステパノは、そのむごい殉教の死の最中に、神の栄光を見て、「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます」(使徒の働き7章56節)と言っています。主は、私たちにも、この神の力のすべてをもって満ち満たしてくださって、キリストを証しし、みことばを語らせてくださるのです。
最後に、エペソ人への手紙1章19節を読んで終わります。「神の大能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力が、どれほど偉大なものであるかを、知ることができますように。」(エペソ人への手紙1章19節)
(結論)聖霊の注ぎと満たしを切に求めましょう。そして、上からの力に満たされ、主を証しする者となりましょう。
聖書 使徒の働き1章3~12節 2章1~4節 ペンテコステ
(序)本日は、ペンテコステ礼拝です。約束の御霊が注がれ、教会が誕生したことを記念する日です。そこで本日は、使徒の働き1章8節を中心に見たいと思います。
8節の冒頭「しかし」という接続詞が来て、6~7節の事柄から、8節の事柄へと弟子たちの思いを急旋回させています。「聖霊が臨むとき」どのような力をいただくのでしょうか。
一、証しする力
それは、キリストを証しする力です。どの様にキリストについての知識がありましても、キリストを証しする事は出来ません。聖霊の注ぎと満たしなくしては、わたしたちは無力です。
「力」とはギリシア語でデュナミスと言いますが、これは「強大な物凄い力、能力」を意味しています。それは、どんな時にも、大胆に証しするところの力です。
8節の「わたしの証人となります」とのキリストのことばについて、A・T・ロバートソンは「壮大で神聖なる確かな王としての勅令」Royal words of magnificent and Divine assurance.と言っています。
マタイの福音書28章18~20節をご覧ください。「わたしは天においても地においても、すべての権威が与えられています。ですから、あなたがたは出て行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい」とあります。復活の主は、王の王としての権威をもって、「大宣命令」といわれる命令を命じておられます。そのような王としての権威をもって、「わたしの証人となります」と語っておられるのです。
使徒の働き5章29節を見ると、主イエスの名によって語ることを禁じた大祭司たちに対し、ペテロは、「人間に従うよりは、神に従うべきである」(使徒の働き5:29)と大胆に語る力をいただいて主イエスを証ししています 。ステパノも、石を投げつけられて殉教して行く中で「ああ天が開けて、人の子が神の右に立っているのが見える」(使徒の働き7:56)と証ししています。
エペソ人への手紙6章10節をご覧ください。「主にあって、その大能の力によって強められなさい」とあります。私たちは、あらゆる悪魔の策略に勝利し、大胆に福音の奥義を証しするために、主によって強められる必要があるのです。続いて、エペソ人への手紙6章13節以降もご覧ください。「神のすべての武具を取りなさい」とあって、真理の帯、正義の胸当て、足には平和の福音の備え、信仰の盾、救いのかぶと、御霊の剣(神のことば)、御霊による祈りという「神の武具の七つ道具」が出て来ます。主は、私たちのために、これらの「七つ道具」を用意して下さっているのです。これらを身に着け、強められて「主の証人」となりたいと思います。
二、信仰に歩む力
第2に、「信仰によって歩む力」です。人々をして神の言葉に立たせ、歩ませる事の出来る力です。 バックストン先生によると、使徒行伝における三つの大切な事は、「聖霊と神の言葉と神の人」と言っておられます。
- 聖霊の注ぎと働きと導きがあります。使徒の働きの中に「聖霊」の注ぎと働きと導きについて40回も用いられています。
- みことばに励まされ、神の御業を通してみことばが広められたことが書かれています。「こうして、神のことばはますます広まっていき、エルサレムで弟子の数が非常に増えていった」とあります(使徒の働き6章7節)。
- 神の人の信仰と祈りと賛美があります。「真夜中ごろ、パウロとシラスは祈りつつ、神を賛美する歌を歌っていた。ほかの囚人たちはそれに聞き入っていた」(使徒の働き16章25節)とあります。信仰によるところの祈りと賛美があるところに、神様の大いなる御業がなされるのです。
三、一つにする力、愛の力
初代教会の人々は、心を一つにして、主を礼拝し、生活を共にしていました。使徒の働き2章41~47節を見ると、初代教会の人々が、心を一つにして、礼拝と賛美を行い、聖餐や愛餐を執り行い、教えを守り、交わり、所有物さえ分け合っていた様子が書かれています。しかも、時には、一致が壊れるのではないかと思われる時には、御霊の導きによって、一つとされています(使徒の働き6章1~7節)。まさに、初代教会においては、御霊によって、互いに一つとするところの愛の力が与えられていたのです。お互いが一つとなることによって、「主ここにいます」とこの世の人々に主を証しすることができるのです。
四、神の栄光を見る力
信仰と聖霊に満ちたステパノは、そのむごい殉教の死の最中に、神の栄光を見て、「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます」(使徒の働き7章56節)と言っています。主は、私たちにも、この神の力のすべてをもって満ち満たしてくださって、キリストを証しし、みことばを語らせてくださるのです。
最後に、エペソ人への手紙1章19節を読んで終わります。「神の大能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力が、どれほど偉大なものであるかを、知ることができますように。」(エペソ人への手紙1章19節)
(結論)聖霊の注ぎと満たしを切に求めましょう。そして、上からの力に満たされ、主を証しする者となりましょう。