礼拝説教「信仰継承と信仰による前進」 2022年2月13日
聖書 ヨシュア記1章5~6節
(序)本日は、私たちの教会にこの年与えられている標語よりお話いたします。
一、信仰継承:家族への証し
まず信仰継承ということですが、いつも私たちが覚えて取り組まなければならない課題です。「家族への証し」ということは、
使徒の働き16章31節の「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」という聖句は、家族伝道を考える時、大いに励まされるみことばです。この箇所は、マケドニア人が助けを求める幻を見て、パウロ一行が、マケドニアに渡り、ピリピの町に行ったときの出来事です。まず、パウロ一行は、祈り場を探してそこで伝道したことが記されています。そこに主を求める人がいたということです。そして、ルデヤという婦人とその家族が救われ、この町の伝道を進める拠点ができます。しかし、間もなく、占いの霊につかれた女の事件で、牢獄に入れられてしまいます。しかし、神様には、この獄吏の一家の救いというご計画があったことを知らされます。
1.祈ることが出来る
まず、ここ使徒の働き16章31節に見ることが出来るように、一人の人が救われ、さらにその家族が救われるためには、その背後に祈りがあったということです。パウロとシラスは獄の中で、しかも真夜中であるというのに、祈っていました(25節)。家族伝道のすべては、この祈りから始まると言ってよいでしょう。それぞれの家族には、必ずと言って良いほど、その一家が救われるために鍵になる人物がいることを思います。
2.信じることが出来る
31節を見ると、パウロは「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」と言っています。パウロの目には、一人の人だけでない、その人の全家族の救いが見えていたということです。その祈りがあった。その信仰があったということです。そして、この獄吏は、その信仰に立ったということです。私たちも、どんな困難の中でも、主を信じ、家族が救われるように信じ続けることです。あきらめてはいけません。その信じたようになるということです。あきらめて、クリスチャンとして寂しい最期を迎えた人々を知っています。それと反対に、どんな戦いがあっても、信じ続けた人、戦った人はそのとおりに、家族が救われています。
3.愛することが出来る
家族伝道の難しさは、24時間、共にいるということです。どんなに言葉で良いことを言っても、行いで良き証しをしなければ、信じてくれません。特に、わたしたちがどれだけ、愛をその家族に示すことが出来るかにかかっていることを思います。第2コリント3:2~3を見ると、「私たちの推薦状は、あなたがたです。それは私たちの心に書き記されていて、すべての人に知られ、また読まれています。あなたがたが、私たちの奉仕の結果としてのキリストの手紙であることは明らかです。それは、墨によってではなく生ける神の御霊によって、石の板にではなく人の心の板に書き記されたものです」とあるように、私たちの愛の行いが特に家族には見えているということです。
<例話>峰山にいたときの事ですが、教会の近くに一人の婦人がおられまして、忙しい食料品店の切り盛りをしながら、寝たっきりのお姑さんの世話を、心を込めてなさっておられました。まず、そのお婆ちゃんが、信仰に入り、ついにご主人も救われました。人々は理屈でなく、愛の業をなすときに、心が開かれるのです。
使徒の働き16章34節に「神を信じたことを、全家族とともに心から喜んだ」とありますが、主は、祈り続け、信じ続け、愛し続けた人に、家族伝道の恵みを与えてくださるのです。
二、信仰による前進
次に、標語の後半「信仰による前進」について申し上げます。私たちの人生には、私たちの前進を阻もうとする様々な出来事が起こってまいります。私たちは、どのようにしてそれらを乗り越えて前進することが出来るのでしょうか。本日は、ヨシュア記に出て来る信仰の人エフンネの子カレブの信仰に学びたいと思います。ヨシュア記14章6~14節をご覧ください。カレブは、かつてカデシュ・バルネアから偵察12人の一人として約束の地に遣わされたて帰って来た時、偵察に行った10人は、約束の地に上って行くことに反対しましたが、ヨシュアとカレブは、上って行くべきであると信仰をもって進言し、主に従い通しました。結局、イスラエルの民は、上って行かないことを選択し、40年間の荒野にお旅をしなければなりませんでした。主は、「主に従い通したヨシュアとカレブ以外誰も約束の地を踏むことはできない」と言われ、モーセを通して、カレブに「あなたの足が踏む地は必ず、永久に、あなたとあなたの子孫の相続地となる」(9節)と約束されました。そのことを、カレブは45年間信じ続け、今85歳になりましたが、「モーセが私を遣わした日と同様に、今も私は壮健です。私の今の力はあの時の力と変わらず、戦争にも日常の出入りにも耐えうるものです。今、主があの日に語られたこの山地を、私に与えて下さい。…主が私とともにいてくだされば、主が約束されたように、私は彼らを追い払うことが出来ます」(11~12節)と申し出、ついに信仰のごとくヘブロンを相続地として獲得しました。私たちも、このカレブの信仰に倣い、どのような状況に置かれても主に従い通し、主の祝福を頂く者とならせていただきましょう。それこそが信仰をもって前進することです。
三、主の臨在の約束と励まし
最後に、ヨシュア記1章5~6節をご覧ください。ここに、主の臨在の約束と励ましがあります。これは、主なる神がモーセの後を引き継いだヨシュアに対して語られた主のみことばです。ヨシュアとイスラエルの民は、荒野の四十年の旅を終え、いよいよ約束の地カナンに入り、約束のものを獲得しなければならないという新しい時代への転換点に立っていました。主は、ヨシュアに「ともにいる」との臨在の約束をしてくださったのです。主は、モーセやヨシュアに約束されたように、私たちにも「ともにいて、見放さず、見捨てない」と約束を与えていてくださいます。今は、新型コロナの第六波といわれる大変な中に置かれていますが、主がともにいて、「見放さず、見捨てない」と約束してくださっていることを覚えましょう。そして、この年、主の約束のみことばを信じて前進しましょう。
主は、私たちに「わたしはあなたとともにいる。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。強くあれ、雄々しくあれ」と語っていてくださいます。
(結論)信仰の継承をめざしつつ、信仰による前進をしてまいりましょう。