礼拝説教「聖誕の夜の大いなる賛美」2021年12月19日
聖書 ルカの福音書2章1~16節
(序)本日は、クリスマス賛美礼拝です。救い主の誕生を心から、お祝いいたします。ベツレヘムの馬小屋でマリヤより生まれたみどりごは、布にくるまれて飼葉桶に寝かされました。その夜、ベツレヘムの野に野宿して、羊の番をしていた羊飼いたちに、御使いが現われ、救い主誕生の良き知らせを告げました。その時、主の栄光がまわりを照らし、御使いと一緒に、多くの天の軍勢が現われ、「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように」と賛美しました。この御使いたちによる賛美は、①栄光と平和、②神と御心にかなう人々、③天と地という互いに対となる3つのことが対比されて歌われています。本日は、この御使いや天の軍勢による賛美に的を絞ってお話するように導かれています。
- 栄光が、神にあるように
さて14節に「いと高き所に、栄光が、神にあるように」とありますが、「神の栄光」とは何でしょう。フリーゼンは、「神の栄光は、神の本質の放射する力であって、いわば神の隠れた聖が外面にあらわれたものだ」と言っています。すなわち、主なる神の光輝く聖と変わることのない永遠の愛というご本質が輝きだしたものであり、それは神の救いの歴史の中で、恵みとまこととして輝きだしているものです。
ここ14節に関して、18世紀ドイツの福音的聖書学者ベンゲルは、「神の栄光とは、救済の奥義そのものであり、その結果と成就である」と言っています。特にここでは、キリストの受肉が、神の栄光を賛美する契機となっています。
私たちも、御使いたちと共に、「いと高き所に、栄光が、神にあるように」と賛美をささげましょう。神様は、このクリスマスに、御子イエス・キリストの受肉降誕という、大いなる救いの御業をなしてくださいました。
神様は、この年、困難な中にも、御手を差し伸べ、大いなる御力を示し、栄光を現わし、私たちを導いて下さいました。私たちは、この神様の栄光の御業を感謝し、すべての栄光を神におささげして、賛美をおささげしましょう。
- 地の上に平和があるように
さらに14節に、「地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように」とあります。昨年そして今年と、新型コロナウイルス世界的感染拡大によって、危機的状況にある2年でした。今日本では感染拡大が収まっていますが、年末年始にかけて第六波が懸念され、オミクロン株の脅威も言われていますが、今年幸いにも、クリスマスコンサートを開催でき、多くの新しい方々がお出で下さったことを感謝しました。来るべき年には、感染拡大が収まり、真の平和が訪れますようにと祈ります。
主イエス・キリストは、平和の君として来てくださいました。この方によって、神の平和が与えられたのです。「平和」とは、シャロームと言いますが、それは、欠けのない満ち足りた事であり、内からほとばしるいのちの盈満です。それは、神との関係から始まって、すべての人間関係、経済的な繁栄へと及びます。すなわちすべてがこのシャロームの一言で表されるのです。世界の平和、国の間における平和、隣人との平和、家庭の中における平和、このクリスマス、すべての人に、この平和が訪れるように祈ります。
しかし、ここ14節に、もう一つの見逃してはならない一句があります。すなわち、「御心にかなう人々にあるように」ということです。真の平和は、神の御心を行い、神に喜ばれる人々の上にあるというのです。すなわち、私たちが、真の平和を持つためには、まず神との平和を頂く必要があるのです。神との関係が回復される時、他の全てのものは、祝福され、満たされるのです。すべての祝福の基礎は、神との平和にあるのです(ローマ5章1節)。
三、祝福に満ちた神の栄光の福音
この年の前半私たちは、テモテへの手紙第1と第2を25回にわたって見て参りました。その中で、心に残っているのは、「祝福に満ちた神の栄光の福音」(テモテへの手紙第一 1章11節)というみことばです。
「祝福に満ちた神の」とは、新約聖書において、ここと6章15節にのみ出てくる珍しい表現です。「人間に祝福を与える、祝福の源としての神」であることを意味しています。創世記1章27~28節によると、神は、人を創造の華として最後に造られ、「祝福された」のです。まさに、主なる神は、祝福の源であってくださるのです。「福音」ユーアンゲリオンとは、「喜びのおとずれ」ということであり、罪のために滅びしかない運命の人間のために、あわれみ深い神の恵みのゆえに、イエス・キリストを通して与えてくださった救いの道についての「喜びの知らせ」です。神に背を向け、罪を犯し、神の祝福を失った私たち人間のために、神ご自身が救いの道を開いてくださって、再び私たちを祝福で満たそうとして下さっているという「喜びの知らせ」です。しかもその福音は、「栄光の福音」なのです。
先ほど「栄光」とは、「神の本質の輝き」だと申し上げました。すなわち、主なる神の光輝く聖と変わることのない永遠の愛というご本質が輝きだしたものであり、それは神の救いの歴史の中で、恵みとまこととして輝きだしているのです。
テモテへの手紙第一 1章15節には、「『キリスト・イエスは罪人を救うために世に来られた』ということばは真実であり、そのまま受け入れるに値するものです」(テモテへの手紙第一 1章15節)とあります。まさに、クリスマスは、この「祝福に満ちた神の栄光の福音」の現われなのです。ですから、御使いと天の軍勢は、「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように」と賛美したのです。
(結論) このクリスマスに、そして、迎えます新しい年に、「栄光が、神にあるように。地の上に、平和があるように」と心からの感謝と賛美を主にささげたいと思います。