礼拝説教「慈しみのしるし」2021年9月19日
聖書 詩篇86篇12~17節
(序)先週も申しましたが、この詩篇には、他の詩篇で歌われた表現をそっくりそのまま用いている箇所が多くあります。新改訳2017で数えると74箇所見出すことができると申し上げました。しかし、この詩が、他の詩の表現をそっくりそのまま用いているのは、それら過去に歌われた詩篇の言葉に、この86篇の作者である詩人の心が強く同調し、動かされたからであると申し上げました。そして、その多くは、ダビデの詩からの取り入れたものであるので、表題を「ダビデの祈り」と付けたのだと申し上げたようなことです。
- 心を尽くしての感謝と賛美
さて、先週は、1~11節から、「心を一つにしてください」という題で、特に11節を中心にお話しさせていただきました。詩人は、「あなたの道を教えてください。私はあなたの真理のうちを歩みます。私の心を一つにしてください。御名を恐れるように」と歌っています。すなわち、「私は、真理の道をいつまでも歩き続けてまいります。ですから、あなたの道を教えてください。私の心を、あなたに向けて、一つにしてください。集中させてください」と祈っていました。
そして、その祈りは、12節に入って、神への感謝と賛美に変わっています。すなわち、「わが神、主よ、私は心を尽くしてあなたに感謝し、とこしえまでも、あなたの御名をあがめます」(12節)と賛美しています。
13節で、詩人は、「大きな主の恵み」が自分の上にあることを覚えて感謝をささげています。それは、主が、詩人を、「よみの深みから救い出してくださるからだ」と言っています。
- あわれみ深く、情け深い神
そして、15節において、詩人は、「主が、あわれみ深く、情け深い神、怒るのにおそく、恵みとまことに富んでおられるお方である」ことを覚えて、主をほめたたえています。「しかし主よ。あなたのあわれみは深く、情け深い神。怒るのに遅く、恵みとまことに富んでおられます」(15節)と主を賛美しています。同じ信仰の告白が5節にもあります。「主よ。まことにあなたは、いつくしみ深く、赦しに富み、あなたを呼び求める者すべてに、恵み豊かであられます」(5節)と主を賛美しています。新改訳2017の欄外を見ますと、5節も、15節も引照箇所として、共にネヘミヤ記9章17節をあげています。
詩篇85篇よりお話しした際、その背景について触れました。この詩篇86篇もおそらくコラの子たちが歌ったものであり、同じような状況を背景として持っていたと思われます。すなわち、ペルシャのキュロス(クロス)王が紀元前539年10月10日バビロンを攻略し、翌紀元前538年ユダヤ人はバビロン捕囚から解放され、祖国に帰還を許され、神殿再建の工事を開始します。ところが妨害が入り、工事は中断されてしまいました。祖国に帰れた喜びと、廃墟と化した現状に対する失望と襲って来る将来についての不安に、彼らの信仰が試され、弱っているような状況という歴史的背景です。そして、先ほど開きましたネヘミヤ記も同じような時代でした。すなわち、民の罪と心の頑なさのゆえに、バビロンに捕囚となっていた彼らが、ただ主のあわれみのゆえに、バビロン捕囚から解放され祖国に帰還することができたのです。しかし、なおエルサレムは荒廃し、帰還した民は再建を妨害する者のゆえに信仰が弱り、失望していました。さらに、信仰的妥協をする者もあらわれたのでした。そのような中で、「あわれみは深く、情け深い神。怒るのに遅く、恵みとまことに富んでおられる神」に目を留めて、全き回復を祈り求めているのです。
16節で、詩人は、「御顔を私に向け、私をあわれんでください。あなたのしもべに御力を与え、あなたのはしための子をお救いください」と主の救いと全き回復を祈り求めています。
- 慈しみのしるしを行われる神
主は、あわれみ深く、力を与え、救いを与え、慈しみのしるしを行って下さる方です。特に、この朝は、敬老特別礼拝という事で、17節のみことばが与えられています。すなわち、「私に、いつくしみのしるしを行ってください」(17節)という一句です。
口語訳、文語訳では「惠みのしるし」と訳しています。
カーマイケルは、『主の道を行かせてください』という本の中で、「いつくしみのしるし」ということに触れ、「主は、私たちに『いつくしみのしるし』を与えてくださって、信仰のよき戦いに勝利を与え、慰め、助けてくださいます。祈り求め、それを見つけようと目を光らせていればきっと探し当てることが出来ます。主と私の間のちょっとした個人的なしるしであるかも知れません。あるいは、ほかの人に伝えて喜んでもらえるような大きなものであるかも知れません。」と言っています。
信仰生涯を振り返る時、あなたにも、この「いつくしみのしるし」が与えられていたことを見出されるでしょう。
(結論)詩篇103篇2節に、「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな」とあります。今は、互いに顔を合わせて、その恵みを覚え、互いに感謝の証しをし合うことはできませんが、各自、その恵みを覚えて主に感謝し、主に心からの賛美をおささげしましょう。