礼拝説教 「心を一つにしてください」 2021年9月12日
聖書 詩篇86篇1~11節
(序) 表題によると、詩篇86篇は、「ダビデの祈り」とあります。なぜ詩篇の第1巻や第2巻に多いダビデ作の詩篇が、この第3巻に出て来るのでようか。それと、この詩篇には、他の詩篇で歌われた表現をそっくりそのまま用いているのを多く見いだします。新改訳2017で数えると74箇所見出すことができます。ですから、この詩篇は、寄木細工のような詩篇だと酷評する人もいます。しかし、この詩が、他の詩の表現をそっくりそのまま用いているのは、それら過去に歌われた詩篇の言葉に、この86篇の作者である詩人の心が強く同調し、動かされたからではないでしょうか。そして、その多くは、ダビデの詩からの取り入れたものであるので、表題を「ダビデの祈り」と付けたのだと思われます。
- 慈しみ深く善なる神に向かっての叫び
詩人は、まず主に向かって、「主よ。耳を傾けて、私に答えてください。私は苦しみ、貧しいのです」(1節)と強い調子で叫んでいます。ここにある「苦しみ」アニーとは、「悩む者、砕かれた者」のことです。また、「貧しい」エビヨーンとは、「極貧の者」であることを意味しています。詩人は、ダビデの言葉を借りつつ、自らが「砕かれた者」であり、主以外には「全く頼るところのない貧しい者」であると言い、自分は「神を恐れる者」(2節)であり、「主のしもべ」であると告白しているのです。
そして、絶えず主を呼び求め、主を仰いでいる者であることを告白しています。2節、3節、4節では、「私のたましいをお守りください。…主よ。私をあわれんでください。…このしもべのたましいを喜ばせてください」(2節、3節、4節)と訴えています。
5節で、詩人は、主が、「いつくしみ深く、赦しに富み、…恵み豊か」(5節)な方であることを告白し、賛美しています。この「いつくしみ深く」とは、トーブという言葉が使われており、「善なる方」を意味しています。詩篇119篇においては、主が、「善にして善を行い給う」(詩篇119篇68節)お方であることを賛美しています。
主が、「いつくしみ深く、赦しに富み、…恵み豊か」(5節)な方であってくださるから、私たちは、主を仰ぎ求め、主の名を呼び求めて祈ることが出来るのです。
- 苦難の日に答えてくださる大いなる神
6節において、詩人は「私の祈りに耳を傾け、私の願いの声を心に留めてください」(6節)と祈っています。そして、「苦難の日に、私はあなたを呼び求めます。あなたが私に答えてくださるからです」(7節)と歌っています。詩人は、いかなる苦難の日にも、主なる神は、私たちが呼び求めれば答えてくださる方であることを知っており、信頼しているから、「私の祈りに耳を傾け、私の願いの声を心に留めてください」(6節)と祈っているのです。
8~9節で、主なる神は、他に比べられる神々のない大いなる方であり、すべての国々を統べ治められる方であることを歌い、10節では、主の大いなるみ業に目を留め、「あなたは大いなる方、奇しいみ業を行われる方、あなただけが神です」(10節)と主に向かって最高の賛美をささげています。主なる神は、苦難の日に私たちの祈りに答えてくださる大いなる神です。
そして、詩人は「主よ。あなたの道を私に教えてください」(11節)と願い、「あなたの真理のうちを歩みます」(11節)と信仰を言い表しています。すなわち、「主よ。私はあなたの真理の道をいつまでも歩き続けてまいります。ですから、あなたの道を教えてください」と言っているのです。そして、11節後半に、「私の心を一つにしてください。御名を恐れるように」と歌っています。多くの他の詩篇の言葉を用いている中にあって、この語句だけは、ここにしか用いられていない言葉であり、しかも強意形で書かれています。ですから、詩人は、この詩の焦点をこの一句に置いているのです。
「私の心を一つにしてください。御名を恐れるように。」(新改訳2017)
「御名を畏れ敬うことができるように、一筋の心をわたしにお与えください。」(新共同訳)「私の思いを一つにし、あなたの名を畏れる者にしてください。」(聖書協会共同訳)すなわち、詩人は、「私の心を、あなたに向けて、一つにしてください。集中させてください」と祈っているのです。
エレミヤ書32章39~40節では、「一つの心と一つの道を与え、…彼らと永遠の契約を結ぶ…」と言われています。さらに、ルカの福音書10章41~42節には、「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことを思って、心を乱しています。しかし、必要なことは一つだけです。マリアはその良い方を選びました」と言われた主イエスのみことばが記されています。
この所に関して、カークパトリックという学者は、申命記6章4~5節の「聞け、イスラエルよ。主は私たちの神。主は唯一である。あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力をつくして、あなたの神を愛しなさい」(申命記6章4~5節)を引用し、「唯一無比である神は、礼拝者の心が一つであることを要求しているのです」と述べています。
(結論)私たちは、主に向かおうとする私たちの心を妨げ乱すものから目を離し、主なる神に向かって、私たちの心と思いを一つに集め、集中させ、心を尽くし、いのちを尽くし、力をつくして、主なる神を愛し、主を礼拝する者となりましょう。