礼拝説教「神の疾風で」2021年8月22日
聖書 詩篇83篇1~18節
(序)本篇もアサフの歌です。
一、四方を敵に囲まれる危機の中で 1~8節
中国の故事に由来する「四面楚歌」という言葉がありますが、まさに敵対するものに囲まれた絶望的イスラエルの状況です。
この詩の時代背景は、詩篇80篇と同じく、アッシリア帝国によって北王国イスラエルが滅ぼされた紀元前722年ごろのことであろうと思われます。
6~8節に、イスラエルに敵対する民族のリストが書かれています。エドムは死海の南に住むエサウの子孫、モアブは死海の東方に住むロトの子孫、ハガル人はヨルダン川の東方に住んだ遊牧民、ゲバルは死海南方の民、アモンはヨルダン川東岸に住むロトの子孫、アマレクはユダ南部の遊牧民、ツロの住民はイスラエルの北西地中海岸に住むフェニキア人、ペリシテ、ユダの西、地中海岸沿いの民族、アッシリアは北のユウフラテス川流域にある国、これらの国々を見るとまさに、イスラエルをぐるりと四方を囲んでいます。彼らが、騒ぎ立ち、悪賢いはかりごとをめぐらし、「イスラエルを消し去ってしまえ」と声をあげ、互いに同盟を結び、心を一つにして押し迫って来るのです。
ですから、詩人は、「神よ。沈黙していないでください。黙っていないでください。黙り続けないでください」(1節)と叫んでいるのです。ここに、「沈黙する」という意味の三つのヘブル語「ドミー」「テヘラッシュ」「ティシュコット」が用いられています。①「ドミー」とは、何も行動を起こさないで、ただ黙って見ている様子を示す言葉です。②「テヘラッシュ」とは、聞くことも語ることもしないで意図的に全くコミュニケーションを断ってしまうことです。③「ティシュコット」とは、何の助けも、何の動きも、何の音もない、全くの無風状態を示す言葉です。夏の暑い夕方の無風状態を表わす言葉に「瀬戸の夕凪」という言葉があります。まさにそのような状態を言っています。
とにかく、詩篇83篇の詩人は、「神よ。沈黙していないでください。黙っていないでください。黙り続けないでください」(1節)と叫んでいるのです。
二、神の圧倒的勝利を待ち望む 9~17節
9~11節は、主なる神が圧倒的御業をもって、御民イスラエルを救われた過去の歴史を振り返り、そのような神の御業をもう一度見せてくださいと懇願しているのです。ミディアンに対しては、ギデオンが用いられました。シセラとヤビンに対しては、バラクとデボラが用いられました。エン・ドルは、ヨシュアが勝ち取った町です。オレブとゼエブ、ゼバフとツァルムナに対しては、ギデオンが用いられて勝利しました。
攻撃してくる悪しき者たちを、風にゴロゴロと吹き去られる藁のように、また、林や山々を焼き尽くす炎のように、「疾風で追い散らし、風で恐れおののかせてください」(15節)と言っているのです。
詩篇18篇7~15節をご覧ください。ダビデの祈りに答え、主なる神が、ものすごい勢いでダビデを助け出される描写が描かれています。
神は、一人の苦しむ者の叫びに、山を揺り動かし、煙を上げ、火を噴き、烈しい感情をあらわにして、救出の行動を起こされるのです。それだけではありません。18篇9節には、「天を押し曲げて降りて来られた」とあります。ここには、「天を引き裂いて」(ナター)という意味の言葉が使われています。これはテントをピーンと張り、それが裂ける様子をあらわしていると言われます。実に、主は、天を裂いて一人の苦しむ者のために下ってこられる神です。
主イエス様は、神であるお方ですが、私たちを救うために、低く下り私たち人間と同じ肉体を取り、死を味わわれました。それゆえに主は、あわれみ深い大祭司として、私たちのために折りにかなった助けを与えてくださるのです。
「ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、折りにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか」(へブル人への手紙4章16節)とあるごとくです。
実に、主は、私たちの祈りに答え、間髪を入れず、疾風のごとくに臨み、私たちを助け出してくださるのです。そのような主の御助けを詩人は待ち望んでいるのです。
三、主こそ全地の主である 18節
「敵は退散し、私たちは救われた。ああ、良かった」ではないのです。
主が、祈りに答え、敵なる者を打ちまかし、私たちが救われたのは、敵も味方も、すべての者が、主を知り、主の御名があがめられるようになることなのです。「主であるあなただけが、全地の上におられる いと高き方であることを」(18節)知るようになることが、最終ゴールなのです。
16節をご覧ください。「主よ。彼らが御名を捜し回りますように」とあります。前の訳では「主よ。彼らがあなたの御名を慕い求めるようにしてください」とありました。要するに、敵対する者からの救いも、敵対する者のさばきも、すべては、すべての者が、主こそいと高き神であることを知り、その御名を求めるようになるところにあるのです。
本日は「神の疾風で」と題を付け、敵対する者に対するさばきと神の御助けを求める祈りについて見ましたが、主なる神は、沈黙という無風状態から、突然に起こる疾風のごとく、その民を救うために天を裂いて下って来られる方であることを覚えていただきたいと思います。
神様は、事を行われるにあたって、遅れることはないのです。折にかなった助けを与えてくださるのです。
ですから主なる神は言われます。「もし遅くなっても、それを待て。必ず来る。遅れることはない。」(ハバクク2章3節)義人は信仰によって生きるのです。信じて祈り、祈って待ち望みましょう。
(結論)危機的状況に囲まれ、祈っても答えのない時にも、信仰を堅く持って、待ち望みましょう。主は、「もし遅くなっても、それを待て。必ず来る。遅れることはない」と言われる主のみことばを信じ、祈りつつ待ち望みましょう。