礼拝説教「生ける神のことばである聖書」2021年7月11日
聖書 テモテへの手紙 第二 3章10~17節
(序)テモテへの手紙 第二 3章1~9節は、「信仰の失格者になるな」ということを記しています。本日は、その続きの10~17節よりお話しいたします。
一、迫害や苦難の中にも 10~11節
パウロは、テモテが、パウロの教えや行動、計画、信仰、寛容、愛、忍耐、迫害、苦難に良くついて来てくれたと感謝しています。テモテは、パウロの第2回伝道旅行の際に、パウロに見出され、パウロと共にマケドニヤに渡り、ピリピやテサロニケ、ベレアなどにおいて、パウロやシラスと共に労しています(使徒の働き16章1~3節、17章14節)。第3回伝道旅行中もパウロを助け、パウロの行動、計画に従っています。「信仰、寛容、愛、忍耐」というキリスト者としてのパウロの生き方にも良く倣って従ってくれたと言うのです。11節の「よくついて来てくれました」パラコルーセオーとは、「つき従う」「信じて従う」「信奉する」「基準とする」「跡をたどる」など豊かな意味を含む言葉です。テモテが、どんな迫害や困難な時でも、心からパウロに仕え、パウロの生き方に倣って来たことを感謝しているのです。
12節は、パウロが自らの生涯を振り返って、「キリスト・イエスにあって経験に生きようと願う者はみな、迫害を受けます」(12節)と言っている言葉です。それは、パウロがその生涯において経験して来たことでした。私たちも、どんな困難な時にも、主を信じ続け、主に従い、主に倣う者でありたいと思います。
二、幼き時より聖書に親しみ 14~15節
14節で、パウロは、「けれども、あなたは学んで確信したところにとどまっていなさい」(14節)とテモテに命じています。私たちも私たちに福音を伝えてくれた先輩の先生方や信仰の先輩方から教えられた信仰をしっかりと受け取り、次の世代の人々に継承して行きたいと思います。
その教えをパウロや祖母ロイスや母ユニケから学んだことを感謝し、その教えを守るようにと勧めています。それは、幼い時から聖書に親しんで来たことの恵みだと言うのです。特に、教会学校の生徒や中高生のために祈り、その働きをサポートして頂きたいと思います。
私たちも、教会学校の生徒の中から救われる者、牧師、伝道者になる者が起こされるように祈り励みましょう。
聖書は、それを心から読む者に、豊かな生ける知恵を与え、イエス・キリストに対する信仰を与え、救いに導いてくださるのです。これほど貴いものはありません。
三、生ける神のみことばである聖書 16~17節
聖書は、いかに誤りのない「神のことば」であり、教えと戒めと矯正と義の訓練といった、霊的に健全に育つために、どれほどに有益であるかが語られています。そして、聖書は、神の人が、すべての良い働きのために、ふさわしい十分に整えられた働き人になるために有益だと言っています。
「神の霊感」とは、聖霊が働いて、神の息吹が聖書のみことばに吹きかけられることです。それは、機械的な霊感でなく、それを記した記者の人格はそのままに、書くべきことが導かれ、その書かれた時の必要に応じた内容であると共に、後世の私たちにも語りかけるところのみことばとして、書かれていることを言っているのです。すなわち、簡潔に言うと、「聖書は生ける神のことばである」ということです。その意味で、まさに真の著者は、神ご自身であるのです。ですから、今日もなお、聖書は、生きたことばであり、私たちに光といのちを与えることばなのです。
「ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを素直に受け取りなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。」(ヤコブ書1章21節)柔らかで素直な心で、みことばを受け取り、みことばに生きるときに、みことばによって救いの恵みにあずかることができるのです。
「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」(詩篇119篇105節)。
(結論)先輩の先生方や信仰の先輩方から教えられた信仰をしっかりと受け取り、次の世代の人々に継承して行きましょう。常に、生ける神のみことばに聞き、みことばに生きる者となりましょう。