礼拝説教「心の目が開かれる信仰者」2024年5月26日

聖書 エペソ1章15~23節

 使徒パウロはいつもエペソといった教会の聖徒のために愛をもって祈りました。その祈りとは、

  • 神を知ることができるように

 パウロは聖徒たちが御霊によって心の目が開かれ神を知ることができるようにと祈りました。パウロの関心は自分が注目されほめられることではなく、人々が神を知ることでした。神様のことを知るとは、ただ聖書を研究すればできるというものではありません。どんなに聖書を読んでも心の目が閉ざされていれば無益です。御霊に目を開いていただいて聖書に表されている真理を祈り心に学ぶとき、主はご自身を表してくださるのです。

  • 神の大能の力を知ることができるように

 パウロ先生が祈る中で大切にしていたのは聖徒たちが神の大能の力を知るということでした。パウロはこう言います。

「この大能の力を神はキリストのうちに働かせて、キリストを死者からよみがえらせ、天上で自分の右の座に着かせて、すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世だけでなく、次に来る世においても、となえられるすべての名の上に置かれました」。

 神の大能の力はキリストの十字架と復活と昇天のみわざを通して表されました。キリストは神の国の王として十字架に死に、よみがえって天に昇り、神の右に着座されました。そしてすべてのものの上にご自身を置かれました。ゆえにわたしたちはこの世の罪の支配から解放され、御国の民として、この世においても、来るべき世においてもキリスト共に生きる者となったのです。もちろん現実は困難があります。しかしキリストは世に勝利しておられます。教会はそのキリストの体であり、神の愛とキリストの十字架の勝利を告げ知らせる使命を担っています。わたしたちはその神の大能の力を知って勇気をもって歩みたいと思うのです。